
40年近く付き合いのある友だち
牛田恭子さんが
金継ぎを始めたと何年か前に聞きました。
それだ!
と、
このカップをお願いしたのでした。
このカップ&ソーサーは
これまた、何十年も前に
私が初めて一人旅をし、京都にいったとき
ふらりと立ち寄った
白川界隈の骨董品店の片隅にあったのです。
なんとなく惹きつけられ、お値段もリーズナブルだったもので、
買って帰りました。
それから、何度かの引っ越し、結婚し、子どもができて、その間ずっと一緒に過ごしてきましたが
いつの間にか縁が欠け、持ち主と一緒の経年劣化・・。
そこで、牛田さんに頼んでみたのです。
引き受けてくれた彼女は
私よりずっとしっかり点検し、
見逃していたひびをみつけ
どう直すか
事細かに予定を説明してくれました
そして、見事!

ここも

全体

細かいひびは完全に見えなくなっています。
割れたものをくっつけたわけではないので
筋が大きく入った金繕いではありません。
縁にポン、ポンと金がのって
金魚もうれしそう。
自分もちょっと興味があって調べてみたけど、とても自分ができそうにないので
これからもなにかあったら
頼むよ、牛田。

お孫さんが小学校に入学されるということで
この白孔雀をお求めいただきました。
栃木県庁新築の際にロビーのモニュメントとして江口週先生の木彫が納められました。そこに使われた樹齢400年近い日光のトチノキの枝板に日光杉並木の倒木から取れた杉板をはって支持体としました。
今ではもう手に入りません。ご縁があって分けていただきました。
作品を作ったのはもう10年近く前のことです。
自分でも気に入って手元に置いてありましたが
この作品を気に入っていただきました。
私も、その可愛いお孫さんの成長をぜひこの作品に見守ってもらいたいな、お守りになってね、とそんな気持ちで
少し手を入れてお納めしました。
そうしましたら
就学前のそのお孫さんから
素敵なお手紙と絵が!

わお!!
小学校に行く前からこんな文章が書けるなんて・・・
さらにさらに孔雀をたくさん描いて送ってくれたのですが






え~!
なんというクオリティの高さ。
幼稚園生だったのですよお。
就学前の・・・。
嬉しい気持ちより先に魂消た。
すごいなあ・・。
すばらしいなあ。
でも、結局、新型コロナ感染症拡大の影響でなかなか小学校には行けなかったんですよね。
6月に入ってやっと本格的に学校に行けるようになったんですよね。
お休みといっても友だちとも遊べなかったし、本当によく我慢したね。
小さな手でがんばります!って書いてくれたその気持ちを思うと胸が熱くなります。
これからいろいろなことがあると思いますが
どうか幸せに力いっぱい育っていかれますよう。
心から祈ります。
私の孔雀も見守ってあげてね。

下野新聞に塗り絵が大きく掲載されていました。
メッセージはもうずいぶん前から募集されていたようですが、
今回は花の塗り絵をサイトに投稿して
新型コロナ感染症対策に力を尽くしている医療、介護の関係者、
そして、その方たちを支えるご家族や、周りの皆さまにもエールを送りましょう!という企画です。
私はカルチャースクールで色鉛筆の講座を持っているし、塗り絵も時々教材にしています。
そんな自負?もあってやってみました。
A4の紙使ってダウンロードするのではなく、せっかくだからと大きな新聞紙を塗り始めたら
ううう
難しい。紙も薄いし・・。
これはまずい、沽券にかかわると焦りました。
で、なんだか塗り絵っぽくなくなってしまいましたが・・これはこれで・・
投稿もうまくできたんだろうか?
もともとは
この用紙

下野新聞soonさんの#とちぎの医療従事者に感謝を のサイトです。
【おうちギャラリー Gallery art home】
第3日目
今日はそもそも、
自分が今のように毎日絵を描き出すきっかけとなった作品をご紹介します。
2011年、東日本大震災があった年です。
ボランティアで被災地を訪れた私はその光景に言葉を失いました。
次の日が大潮を迎えるということで、自衛隊員が横一列になって長い棒を持って遺体を探す、
そんな姿も目にしたのでした
。自然の前にあまりにも人間は無力だと思いました。
家に戻ってからその景色に色を載せることができず
モノクロームの墨で初めて、墨絵を書いてみたのです。
その絵が仕上がったタイミングに現水展の公募があり、
ダメ元で出品したのがこの絵
とうが立っておりますが新人賞をいただきました。
ISHINOMAKI 2011.4.2

このブログでもすでに紹介させていただきましたが。
その後ご縁があって私の墨絵で襖絵などを注文してくださる方と出会い、
ほぼ毎日絵筆をとるようになりました。
別にずっと、ご注文いただいたり
絵が売れ続けているわけではありませんが・・とほほ
こちらももうご紹介の「タナトスの羽音は聞こえず」
2018年に現水展で東京都知事賞をいただきました。

最後はまた少しさかのぼって古い作品。
福島第一原発の事故をうけて自然の前での人間の力の限界とか、
移ろいゆくものとか・・その時の思いを表現してみました。
自分にとって、廃墟、工場風景も心惹かれるモチーフなのです。
FUJI-3

第3日目
今日はそもそも、
自分が今のように毎日絵を描き出すきっかけとなった作品をご紹介します。
2011年、東日本大震災があった年です。
ボランティアで被災地を訪れた私はその光景に言葉を失いました。
次の日が大潮を迎えるということで、自衛隊員が横一列になって長い棒を持って遺体を探す、
そんな姿も目にしたのでした
。自然の前にあまりにも人間は無力だと思いました。
家に戻ってからその景色に色を載せることができず
モノクロームの墨で初めて、墨絵を書いてみたのです。
その絵が仕上がったタイミングに現水展の公募があり、
ダメ元で出品したのがこの絵
とうが立っておりますが新人賞をいただきました。
ISHINOMAKI 2011.4.2

このブログでもすでに紹介させていただきましたが。
その後ご縁があって私の墨絵で襖絵などを注文してくださる方と出会い、
ほぼ毎日絵筆をとるようになりました。
別にずっと、ご注文いただいたり
絵が売れ続けているわけではありませんが・・とほほ
こちらももうご紹介の「タナトスの羽音は聞こえず」
2018年に現水展で東京都知事賞をいただきました。

最後はまた少しさかのぼって古い作品。
福島第一原発の事故をうけて自然の前での人間の力の限界とか、
移ろいゆくものとか・・その時の思いを表現してみました。
自分にとって、廃墟、工場風景も心惹かれるモチーフなのです。
FUJI-3

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